高学歴かつ自尊心の高い人たちは、逆にワーキングプアに陥りやすい傾向があります。
実際に私が感じたことです。
私が感じたことは、高い偏差値を持つ人々は、例え受験の際に偏差値70の大学を受け落としても偏差値60の大学に入ることができます。
しかし、外資系金融や大学の教授など、偏差値70の職業を目指して断念した人々は、偏差値60や50の職業になかなか就くことができません。
一般企業にとっては、普通の学歴を持ちながら素直な人の方が使いやすいのです。
結果として、偏差値70の職業に就けなかったエリートたちは、底辺の職に落ちるか、起業するしか道がなくなります。
それだけでなく、MBAについても否定的です。外資系企業への転職をしないのであれば、MBAを取る意味はほとんどないと思います。
「仮に年収が400万円であるとすれば、MBAの2年間で800万円の機会損失が生じます。さらに授業料もかかりますが、結局手に入るのは二刀流の効果ぐらいしかありません。MBAは外資系企業への転職に有利であり、英語の勉強にもなる程度のものです。外資系企業への転職をしないのであれば、国内のMBAは英語の勉強にすらならないので、取得してもほとんど意味がありません。むしろ、時間やお金といった失うものの方が何倍も大きいのです」
さらに、博士課程についても厳しい意見があります。「大学に授業料を支払いつつ5年間も勉強するなんて、正気じゃないですよ。引きこもりのコースです」
もしもそうだとすると、なぜみんなが高い学術的なレベルを目指すのか、その意義は一体どこにあるのでしょうか。
受験戦争は、日本人にとって国民全員が参加する一種の競争です。
私たちは小さい頃から「高い学術的なレベルでなければ駄目」という考えが植え付けられてきました。
多くの人々が、東京大学を含む学歴のヒエラルキーの頂点に位置づけられていますが、その頂点で展開されているエリート教育の問題点を探ってみましょう。
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大学院卒の年収に関するアンケート結果を見ると、大変驚きの事実が明らかになりました。
まず、文系卒の平均年収は550万円であり、理系卒は567万円となっています。しかし、驚くべきことに、文系と理系の院卒の平均年収は547万円となっており、最も低いことがわかりました。
つまり、大学院に進学しても、収入の面では報われないという結果が出てしまいました。
これによって、先述の藤沢氏が指摘しているように、大学院に進学することで失う機会はほとんど取り戻せない状況になってしまいました。
また、高偏差値の理系学生が医学部に進むのも、優秀な理系学生や院生が民間の技術職を選ばずに外資系金融などの高収入の職に就くのも当然なのかもしれません。
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面接を突破すらための傾向と対策教えます
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